切り絵・立体切り絵作家 カジタミキ

解説(カジタミキ)

写真×装飾切り絵×切り絵でタトゥー切り絵。

新しい作風への挑戦でした。

ヌードへの挑戦も初めてでした。

 

モチーフは地獄太夫。

地獄太夫は一休宗純と関連あった人物で良家の娘でしたが人さらいに合い遊郭に売られしまいます。

自分の前世の行いが悪かったせいできっと今苦しいんだという事で自らを「地獄」と名乗り、お経を唱えながら生きた方と言われています。

 

この辛い世界は地獄で、いつか解放されると救いの手を心のどこかで求めていたのかな、もしかしたら一休さんとの出会いはこの世界に唯一あった救いだったかもしれない。

それが天に向かい脆弱な蝶(心の拠り所=一休)を見つめて手を伸ばす姿に。

菩薩に祈る(助けを乞う)罪人、7つの目はヨハネ黙示録、蛇はご存知の通り、アダムとイヴを誘惑した事から罪の象徴になっています。

しかし裸はアダムとイヴが罪を犯す前の姿である事から罪が浄化され、次の世では幸せに生きて欲しいという気持ちを込めました。

ヨハネ黙示録はざっくり説明するとこの世界がめっちゃ悲惨な地獄になったあとに最終的に天使が勝ちます、みたいな感じのやつです。

宗教ごちゃ混ぜですが、ここら辺は無宗教・無神論な私らしく表現しました。

 

何故、地獄太夫をモチーフに選んだかというと、ヌード で作品制作をしたい、と思った時、意味の無いヌードは嫌だったので私のイメージ出来る最大限の、「肌で生きて死んだ人」を選びました。

地獄太夫には「死んだら野ざらしにして犬の腹を満たしてやってくれ」と残した、とされる逸話があります。

これは後世の人がつけた創作ですが、そう語りたくなるような何かを持った人だったのではないか、と思います。

地獄を生きるために肌を晒し、死んでも肌を晒し他の生き物の糧になる、身体一つ、一つの命をふりしぼり。

彼女に対して沸き起こるイメージはどこまでも辛く険しい、純粋な生と死そのものです。

どれだけ残酷で醜い世界を観たのでしょう。

本当に、この世は地獄そのものかもしれません。

死ぬ以外の希望はもしかしたらないのかもしれません。

それでも、彼女は死ぬまで自分を生きた。

 

 

「私は私を生きる」というのがヌード 作品の根底のテーマとなっていまして、自分の身体や心を誰のものでもない自身のものだという主張をしたく、そんな訳で最初のヌード作品は地獄太夫以外にありえなかったのです。

松島彩さんインタビュー

①ヌードになろうと思ったきっかけは?

 

資格もないし、自分の能力もよくわからない、これから自分が何をしてどう生きていこうかと悩んだときに、胸を張って差し出せるのは体しかなかった。五体満足で生きてます。私にはそれくらいしか自慢できることがないけれど、それが作品になってたくさんの人に何かを考えるきっかけになって、少しでも世界が変わるなら、裸になってみたいと思ったから。

 

②実際経験してどうでした?

 

カジタさんが、私のヌードに対する考えを理解した上で、作品として見てくれたので不思議と恥ずかしさはなかったです。ただただ、作品の中の登場人物、しかも主人公であることが嬉しかった。自分のようで自分でない。

 

③作品をみてどうでした?

 

美しいと思いました。コンプレックスの腰回りが、むしろ、カッコよく見えて、自信になりました。きっと痩せている人だと全く違う作品になると思います。自分の生き方や生活が自分の体を作っているならば、こうやって作品になった時に、すごく生きてる事への肯定というか、許しをもらった気がしています。

松島さんのインタビューを読んで、自分の作品が誰かの生きる糧になる、という手ごたえを以前より具体的に感じました。

 

彩さんが「ヌードになりたい」と言った時、自分なら安全で、意味のある形でその居場所を作れる事に気づきました。

以前の作品もヌードなのですが、あの時は彩さんが作品の為に合わせてくれて、今回は作品が彩さんにそっていった形で…それがかえって、作品が命の中で咲いたような気がしました。

(衣装切り絵とタトゥー切り絵は作品の在り方が違うのでどちらがより良いという事ではないです)

 

生き方の肯定って目に見える形でするのはなかなかに難しいですが、この作風の作品を作り続ける事が世に伝え、多くの人の生き方に応える手段になるのでは…と、微かな希望の灯火を見つけた想いです。

そんな記念すべき一作となりました。

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